東 京 往 来(不健康倶楽部の主成分)

発車オーライ、イッツオーライ、東京オーライ、カモカナ?

求めるものと求められるもの

会社などに所属し、勤労するなら、求められることに応えなければならないと思う。
 もし、したいことをしたいなら、独立自営を決意しなければならないと思う。
 でも、性格や持てる能力を発揮できるか否かで、独立自営が叶わぬ場合もある。
 どちらを選ぶかは職業選択の自由かもしれない。 でも、時代や年齢なども看過できない。
 
 さて、自分が一体何をしたいか。 自分が一体何をできるのか。
 何を選べば、苦痛でない人生を選べるのか。
 
 死ぬほど草臥れるくらい、心身ともに全力で働いているつもりではいるけれど、全く死ぬ気配がない。
 全力具合が足らないのだろうか。
 そうなのかもしれない。
 けれど、そうでないのかもしれない。
 
 何もわからない。
 ある日に求められることが、別の日に求められぬこともある。
 一体何をすればよいのか。 一体なにをしたいのか。
 
 どうでもいい。
 どっちでもいい。
 
 生きるために働いているというより、体を壊して死んでしまいたいという気持ちの方が強いのに、生きるほど、働くほど、体がその毎日に順応してしまう。
 この先に何も求めていないのに、この先をいつまで続ければ許してもらえるのか、誰に尋ねれば答えてくれるのか、答えは見つからないとわかっている気もする。
 
 許されるなら、今年が終わるときに、自分も終わりたい。
 許されるなら、今年が終わるまでに、親しい、或いは親しかった人に、会いたい。