会社などに所属し、勤労するなら、求められることに応えなければならないと思う。
もし、したいことをしたいなら、独立自営を決意しなければならないと思う。
でも、性格や持てる能力を発揮できるか否かで、独立自営が叶わぬ場合もある。
どちらを選ぶかは職業選択の自由かもしれない。 でも、時代や年齢なども看過できない。
さて、自分が一体何をしたいか。 自分が一体何をできるのか。
何を選べば、苦痛でない人生を選べるのか。
死ぬほど草臥れるくらい、心身ともに全力で働いているつもりではいるけれど、全く死ぬ気配がない。
全力具合が足らないのだろうか。
そうなのかもしれない。
けれど、そうでないのかもしれない。
何もわからない。
ある日に求められることが、別の日に求められぬこともある。
一体何をすればよいのか。 一体なにをしたいのか。
どうでもいい。
どっちでもいい。
生きるために働いているというより、体を壊して死んでしまいたいという気持ちの方が強いのに、生きるほど、働くほど、体がその毎日に順応してしまう。
この先に何も求めていないのに、この先をいつまで続ければ許してもらえるのか、誰に尋ねれば答えてくれるのか、答えは見つからないとわかっている気もする。
許されるなら、今年が終わるときに、自分も終わりたい。
許されるなら、今年が終わるまでに、親しい、或いは親しかった人に、会いたい。